ご挨拶

令和6年9月23日の総会で、岡義博会長退任後の九代目会長に就任しました、昭和46年商業科卒の松野誠寛(のぶひろ)でございます。よろしくお願い申し上げます。43年春入学し、隣の席に大北敏博(元巨人軍)がいました。小林義明校長先生に無理を申して、龍雲中でやっていたハンドボールの同好会を立ち上げました。ところが2年になって進学組に在席するようになって、同好会を外れました。申し訳ない思いでしたが、私には東京の別嬪さんに逢いたいという一念が強く、勉強を選択しました。その甲斐あってか、東京の明治大学に入学できました。落ちたら地元の大学へ行くという、母(母子家庭)との約束でした。

加えて高商に、もう一つ世話になったんであります。母親が地元大学から教員希望でしたから、『教職免許』の取得が4年間の領収書でした。その為の『教育実習』も明大附属高校でという教授のありがたいお言葉を蹴って、迷わず高商での実習を選択しました。浅野翔吾選手が母校で、指導者になりたいと言っていますが、彼の熱意には負けますが、同じ様な願いだったかなと思っています。ところが結果は、卒業して家業の『麺職人』を7年やり、ここから現職と兼業でさらに7年間、家業の廃業は決心がつきませんでした。

さて本題の紫雲会の舵取りでありますが、長くは出来ません。その為にスタートダッシュでやりたい。紫雲会会長職は戦前、校長先生が兼任と聞いておりますが、昭和21年からの初代岩部幾太郎会長からでも、80年近くの時が流れております。会則第2条には、「この会は会員相互の親和連絡を図り併せて母校の発展を援助することを目的とする」とあります。

この目的を果たすために、『組織を今少し強くする』ことに傾注したいと考えます。具体的には『質と量』ですが、『量』は毎年の卒業生が補ってくれます。これからも高商の生徒は、長く続くでしょう。求める所は『質』です。で私は『元気な高商紫雲会』を標榜し、岡義博会長体制を踏襲しながら組織活性化をもう少し図ります。『士魂商才』を校歌に頂き、ここでは活動資金の工面です。2千円会費の納入策に、校歌3番の最終章「奮い(ふる)起きてよと豊けく(ゆた)強く」にあわせて1千万円目標に汗をかきます。

一方使い方、つまりやるべきことは山積しています。具体的には役員会で検討し、また追加で発表します。ただ一つ、今言えることは副会長さんそれぞれに、新規の役割を担って貰いたいと考えています。また野球部の甲子園出場募金や、その他部活の全国大会出場援助など、枚挙にいとまがありません。大風呂敷ですが、強く楽しい組織の紫雲会を目指します。ご支援ご鞭撻を、お願い申し上げます。